小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。無職生活681日目を迎えた。(リンク⇨680日目の記事)
イギリスに住んで、気がつけばもう20年。振り返ってみると、その大半をブラック企業で過ごしてきた。そこで私が学んだこと、感じたことを少しだけ書いてみようと思う。
まず、イギリスのブラック企業で働くと、時間の感覚が麻痺してしまう。残業代という概念がそもそもないので、何時まででも働かされる。時には夜中、寝静まった家で、電話が鳴り響く。日本の支社からだ。時差という概念も、相手にとってはどうでもいいことなのだろう。
イギリスでは国民の休日が8日しかない。日本の15日と比べると、圧倒的に少ない。しかしブラック企業に勤めていると、そもそも休暇を取ること自体が贅沢に思えてくる。11カ月無休、週6日勤務、そして1日12時間の労働。そんな生活が当たり前になる。そして、いつしか自分がブラック企業に勤めていること自体に気づかなくなるのだ。
疲れ切った日々が続くと、ふとした瞬間に涙がこぼれることがある。理由もない。ただ、体も心も限界を迎えているのだろう。休日には何も考えられず、ただぼんやりと時間が過ぎていく。人に優しくしようという気持ちも失われ、すべてが無感覚になっていく。自律神経は壊れ、鬱状態に陥ることも少なくない。会議と称された場では、ただ説教を受けるだけだ。
しかし、そんな生活にも終わりが来る。ブラック企業を辞めると、驚くほど生活が変わる。まず、突然自分の時間が戻ってくる。たっぷりと睡眠をとることができ、肌の調子も良くなる。そして、大切な人と過ごす時間に本当の喜びを感じるようになる。今日という日が、ただの消耗ではなく、意味のある一日になるのだ。
好きな人が生きているならそれでいい、私が生きているのであれば、それで幸せだと思えるようになったことだ。何か大きな成功や、特別な出来事がなくても、こうして日々を生き、周りの大切な人たちが存在していることが、何よりも価値のあることだと気づいた。
イギリスのブラック企業で過ごした20年。その経験を振り返ると、私は「生きる」ということがどういうものか、改めて考えさせられる。結局のところ、大切なのは自分を大切にすること、そして自分の時間をどう使うかということだと思う。
今日という日に感謝。
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