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家庭内の居場所がなくなってきた時に思うこと 元サラリーマン40代男性

Writer's picture: haruukjpharuukjp


「そんなだらしないお父さん、ありえない。」

子供の頃、テレビドラマの中に描かれる典型的な日本の父親像を見ながら、私はそう思っていた。彼らはサラリーマンとして毎日長時間働き、帰宅する頃には疲れ果てている。平日は子供と顔を合わせることもなく、週末には家でゴロゴロしながら、ただ時の流れに身を委ねているだけの存在。

私自身の父親も、そういった「家の中にいながら不在」のような存在だった。子育てにはほとんど関わらず、彼がどんな父親であろうとしたのか、私には伝わってこなかった。それゆえに、自分が父親になったとき、どのように振る舞えばいいのか、誰からも学べなかった。

サラリーマンとしての私

私もまた、かつてのドラマの中に登場する父親像に近いサラリーマンだった。ブラック企業に20年以上勤め、仕事に自分のすべてを捧げた。家族を養うため、家のローンを支払い、子供にはできるだけ良い経験をさせたいと思った。習い事に通わせ、年に二度の海外旅行で視野を広げてもらう。そうすることで、自分なりに父親の役割を果たしているつもりだった。

だが、ふと気づけば、それは「ただ働くだけの存在」に過ぎなかったのかもしれない。

フリーランスになって

サラリーマンを辞め、フリーランスという形を選んだとき、自由な時間が手に入ると思った。しかし、そこで私は自分が何をしたらいいのかわからなくなった。趣味を持たず、ただ仕事だけに打ち込んできた20年が、私から「自由な時間の使い方」を奪っていたのだ。

パートナーの目には、何もしない中年男に映る。DIYをこなし、音楽や運動に没頭する、そんな魅力的な「自由な時間を楽しむ人間」には、私はなれなかった。料理をして家族の食事を準備しても、それが感謝や尊敬を得る行為とは思えなかった。

そうして私は、自分がかつて軽蔑していた「だらしないお父さん」に近づいていることを自覚し始めた。

自分という存在の喪失

長いサラリーマン生活の中で、私は自分という存在を消してしまった。会社のために働き、自分を表現することを忘れ、ただその日その日を乗り越えることに集中していた。

会社を離れた今、私はまるで自分が空っぽの容器のように感じる。この空白を埋めるためにできることは、猫と過ごす時間やブログを書くこと、そして動画を見たり本を読むことぐらいしかない。

しかし、それでは何も変わらない。私がこの先どう生きるのかを、真剣に考えなければならないのだ。

再び自分を見つけるために

今、私は問い直す必要がある。自分がこれまで何をしてきたのか。そして、それをどう生かしてこれから何をするのか。

計画を立てることが必要だ。たとえそれが小さな一歩だとしても、前に進むためには自分自身と向き合うことを避けてはいけない。このままでは、家庭の中で居場所を失い、ただ存在するだけの人生を送ることになってしまう。

私が変わるためには、まず自分を再発見しなければならない。そうでなければ、だらしない父親像に自らを閉じ込めてしまうことになるのだ。


文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から781日目を迎えた。(リンク⇨780日目の記事)』


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