父は公務員だった。堅実で、地に足のついた生き方を好む人間だった。今ではその役目を終え、20年前に定年退職し、老後の自由を満喫している。
私が就職に悩んでいた頃、父は57歳だった。奇しくも、今の私の年齢にさほど遠くない。その時の父の心の内を想像すると、私に対する期待や不安が入り混じった感情が浮かぶ。おそらく、彼はこう思っていたのだろう。
「息子には立派な社会人になってほしい。そしてできれば自慢の息子だと言えるような職業についてほしい」と。
日本では、親が子に望む職業といえば医者や弁護士が典型的だ。しかし、その道が険しいのは誰もが知っている。特に、一流大学の門を叩けなければ、その夢はほぼ閉ざされる。
私が高校を卒業した時点で、父もその道は難しいと理解していたのだろう。ただ、父は小さな頃からよくこう言っていた。
「英語ができるようになれば外交官になれるぞ」
それが彼の口癖だった。もちろん、英語だけで外交官になれるほど現実は甘くないことは、父も承知していたはずだ。しかし、父の希望は、その夢想的な言葉に託されていたのだろう。
その夢が現実にならないとわかると、父は次の提案をした。「公務員になれ」と。これが彼の最後のアドバイスだった。
だが、私はそれを無視した。
地元に戻り、そこで公務員として働き、一生を終える自分の姿が想像できなかったのだ。都会の大学で経験した自由や刺激を手放し、事務作業をこなす日々に身を沈めることは、耐えられないと思った。
東京でなんとか仕事を見つけ、やがてロンドンからのヘッドハンティングを受け、最終的にはロンドンで活動することとなった。この過程は、父の理想像とは異なるものだっただろう。だが、私にとっては納得のいく選択だった。
子供は親の思い通りにはならない。これは、私が親となった今、自分の子供たちにも感じることだ。
親として大切なのは、子供が自分の好きなことを探す力を養う手助けをすることだ。親が子供に特定の職業を押し付けるべきではない。むしろ、子供が自分の好きなことに没頭できる環境を整え、それを応援するのが親の務めだろう。
それこそが、子供にとっての幸せだ。そして、最終的には親自身も、その姿を見て幸せを感じるのではないだろうか。
父の人生と私の人生は交わらない線を描いてきた。だが、その違いが互いにとっての尊重と理解を生んでいる。きっと私の子供たちも、私が思い描く道とは違うところを歩んでいくだろう。
それでいいのだと思う。なぜなら、人は自分自身の道を見つけてこそ、本当の意味で自由になれるからだ。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から753日目を迎えた。(リンク⇨752日目の記事)』
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