今日もその日がやってきた。
友人のXさんはいつものようにリマインダーのテキストメッセージを送りまくっていた。
「来週の日曜日は〇〇に集まって歩きます。ぜひ参加してくださいね。」
彼のメッセージは簡潔で、特別なことは何も書かれていない。でも、その言葉には、何か目に見えないものが込められているように思える。
歩く理由
来週の日曜日。それはXさんの息子の誕生日だ。だが、彼の息子は成人してまもなく亡くなってしまった。それ以来、Xさんは息子の誕生日を忘れないために、そしてその記憶をみんなと共有するために、この日を「歩く日」としている。
毎年、この日には友人たちを誘い、一緒に1時間ほど森の中を歩く。そして途中でケーキを取り出し、みんなで「ハッピーバースデー」を歌うのだ。なんとも不思議な光景だと思う人もいるだろう。だが、これを10年以上続けているXさんの思いには、どこか胸を打たれるものがある。
雨の日も風の日も
天気がどうであれ、このウォーキングは決行される。雨が降っていようと、冷たい風が吹いていようと、森の中を歩き続けるのだ。それは単なる追悼行事ではない。彼らが歩く理由はもっと深いところにある。
Xさんの息子のことをみんなが忘れないように。この小さな集まりが、彼にとっての希望のかたちなのだろう。
今日の集まり
今日も大勢の人が集まった。Xさんの人徳の高さを物語るように、毎年この日には決まって多くの友人が顔を見せる。
私もその輪の中に加わった。そして森の中で他の人たちと一緒に「ハッピーバースデー」を歌った。歌いながら、どこかで彼の息子がこの光景を見ているような気がした。
ケーキの甘い香りが森の湿った空気に溶け込んでいく。誰もが何かしらの思いを抱えながら、その短いセレモニーを見守っていた。
忘れないということ
この小さな集まりには、時間を超えた意味があるように思える。「忘れない」ということ、それ自体が人間にとって大切な行為だ。Xさんはそのことを、息子の誕生日を通して私たちに教えてくれている。
森を歩く足音が、まるで彼の記憶を刻みつけているようだった。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から773日目を迎えた。(リンク⇨772日目の記事)』
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