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「最近の若い人は車を運転しなくなったね」と、誰かが言う。
それはおそらく事実だろう。都市に住んでいれば、電車やバスが張り巡らされ、徒歩でも大抵の場所には行ける。タクシーやカーシェアリングもある。わざわざ車を所有し、駐車場代を払い、税金や保険を負担する理由が見当たらない。
時代は確かに変わった。コストパフォーマンス(コスパ)やタイムパフォーマンス(タイパ)という概念が日常のあらゆる場面に入り込み、人々は「効率」を最優先するようになった。それは当然の流れなのかもしれない。情報伝達は一瞬で行われ、技術は驚くほどのスピードで進化する。
しかし、かつては違った。
昔、車は憧れの対象だった。若者は一生懸命に働いて貯金し、ようやく自分の車を手に入れた。そして、週末になるとどこかへドライブに出かけた。気の利いたカフェを探し、海沿いの道を走り、夜は仲間と車の話をした。外国車を買ったはいいが、やたらと壊れる。修理代が高くつく。でも、それすらも一つの「経験」として語られた。
今の時代、そのような「無駄」は敬遠される。みんな合理的な車に乗り、余計な出費を抑える。見た目や乗り心地にはこだわらない。無駄なリスクは極力排除され、予測可能な社会が構築されていく。
では、その先に待っているのはどんな未来なのだろう?
人間は無駄な時間や遊びの中に楽しみを見出す生き物だ。寄り道をし、回り道をし、ときには遠回りをする。無駄が削ぎ落とされ、すべてが計算された完璧な世界が訪れたとき、果たして私たちは満足できるのだろうか。
それとも、新しい形の「無駄」がまた生まれてくるのか。
今のところ、それは誰にも分からない。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から804日目を迎えた。(リンク⇨803日目の記事)』
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