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中学生で将来の職業を決める イギリス

Writer's picture: haruukjpharuukjp


「何のために大学に行くの?」

中学生の頃、私は先生にそう尋ねたことがあった。あの頃、私の頭の中には明確な答えはなかった。ただ何か確固たる理由がほしかったのだと思う。

先生は少し笑って、こう答えた。「何をやるかわからないから大学に行くんだよ。」

あの言葉を聞いて、私は少し安心したような気がした。でも、振り返ると、その安心感こそが私の失敗の始まりだったのかもしれない。

目的のない大学生活

結局、私は「何を学びたいのかわからない」まま、名前が知られていて、将来役に立ちそうだというだけの理由で学部を選んだ。そこには情熱や興味はなく、ただ無難な道を選んだだけだった。

唯一の救いは、英語学習専攻を選ばなかったことだ。若いながらも、英語を学ぶだけでは時代に取り残されることを本能的に察していたのだろう。英語に加えて、何か専門的な知識を持たなければ生き残れない。そんな漠然とした未来への危機感が、私に少しの知恵を与えてくれた。

息子の「未来を探す旅」

さて、今日は息子がある団体が主催する適性試験を受けに行った。目的は「自分が向いている仕事」を見つけるためだ。心理テストやIQテスト、さらには自分の興味や得意な科目を把握する調査が含まれているらしい。2時間にわたる作業の結果、彼にはいくつかの職業候補が提示されることになる。もちろんそのリストには「ユーチューバー」という項目はない。

イギリスでは高校に入る前に、学ぶ科目を3〜4つに絞り込まなければならない。そして高校の最後の2年間は、その選んだ科目だけを集中して勉強する仕組みだ。これがイギリス流の教育システムだ。

一方、アメリカでは大学入試には幅広い教養を学び、入学後に専攻を決める。この違いは大きい。イギリスのシステムでは、中学生の段階で将来の職業に直結する選択を迫られる。その結果、専門的な知識を深く学べるが、途中で進路を変えたくなった場合には柔軟性が乏しいというリスクも伴う。

早すぎる選択の重み

息子の試験を見ながら、私はふと考えた。この早い段階で将来の方向性を定めるのは良いことなのだろうか。それとも悪いことなのか。

専門性を磨くことは確かに素晴らしいが、視野を狭める危険性もある。一方、幅広い知識を得るアメリカ式の教育も、深みを欠く恐れがある。

それを良しとするか否かは、それぞれの文化や価値観に依るのだろう。だが一つ確かなのは、どの道を選んでも、自分自身でその選択を意味あるものにしていくしかないということだ。

「大学」という問いに向き合う

結局、大学は目的ではなく、手段にすぎない。何を学ぶかよりも、どう生きるかを考えることが大切だ。それを私は息子に伝えたい。そして同時に、自分自身にもそう言い聞かせている。


文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から782日目を迎えた。(リンク⇨781日目の記事)』


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