解雇を告げられたとき、正直なところ驚きと不安が押し寄せたが、不安の方は一種の麻痺を伴い、どこか遠い他人事のように思えた。しかし、三ヶ月、四ヶ月と経ち、新しい仕事が見つからないとなると、しだいにその感覚が自分の現実として重くのしかかってくるのが分かった。
何より頭をよぎるのは、子供たちの習い事だ。彼らにとってその時間や経験は何ものにも代えがたいものだと思う。ここで辞めさせるのは、どうにも腑に落ちない。なんとか手を尽くして、できる限り貯金を取り崩してでも支え続けなければ。そんなふうに決心し、日々思案に暮れる時間が続いた。
半年が経ち、なお仕事は見つからない。生活保護を受けることさえちらつく状況の中、フリーランスとして少しずつ仕事を受け始めた。しかし、それは安定したものではなく、収入も読めないため、どうしても気持ちの安定は遠のいていく。自分のキャリアが宙に浮いたような日々は、不安の消えない薄闇のようだった。
一年が経ち、少しずつフリーランスの仕事が増えてきた。以前のように貯金を切り崩さず、子供たちの習い事も支えられるほどの安定が出てきた。その頃から、次第に新しい展望が頭をもたげ始めた。この仕事をもっと大きくできないだろうか、安定して持続する収入の源にできないだろうかと。
確かに、フリーランスの仕事は常に不安定だ。だが、その分、そこにやりがいもあり、柔軟な自由もあった。50歳を過ぎてから始まった新しい挑戦。自分の好きを活かし、力を注げるこの道を、今後どう切り拓いていけるか。それを思うと、不安の影には、一筋の希望の光が射している気がした。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から715日目を迎えた。(リンク⇨714日目の記事)』
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