
日本から来た50代のXさんと話していると、不意にこんなことを言われた。
「あなたの日本語って、なんだか古き良きものを大切にしている感じがしますね。音が柔らかくて、聞いていてとても気持ちがいいです。」
日本語の「音」。そういえば、自分の日本語がどう聞こえているのかなんて、これまで考えたこともなかった。言葉というのは、単なる伝達手段であり、自分にとっては当たり前のものだ。けれど、もしかすると20年以上日本を離れて暮らしているうちに、自分の話す日本語はどこかで時間を止めてしまったのかもしれない。
進化しない言葉——それは、少し心配でもあり、少し安心でもある。
言葉は時代とともに変わる。1990年代の日本語と2000年代の日本語は、ほんのわずかかもしれないが、確実に違いがあるのだろう。さらに1500年代の日本語ともなれば、それはもう別の生き物のようなものだったに違いない。
けれど、言葉が古くなることは、必ずしも悪いことではない。むしろ、私が話す日本語がどこか懐かしさを含んでいるのだとしたら、それはそれで意味があるのかもしれない。時代に取り残された日本語だからこそ、日本からやってきた人たちに「古き良き日本語」の響きを味わってもらうことができるのかもしれない。
私はそう考えながら、今日もまたこの言葉で話し続ける。
と、これは褒め言葉なのかと一瞬疑問に思いながら、私はそれを受け入れた。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から838日目を迎えた。(リンク⇨837日目の記事)』
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