1950年代の日本、テレビが初めて家庭にやってきた頃のことを覚えている人もいるだろう。あの頃、人々はまだテレビを買えるような余裕はあまりなくて、ひとつの家にテレビがあるとそこに近所の人が集まってくる。まるで新しい神が現れたかのようにスクリーンの向こうに見える世界をじっと見つめていた。オリンピックがあった1960年代に入ると、テレビは急速に普及していき、いよいよ「一家に一台」が当たり前の時代に突入する。テレビの向こうにある世界を眺めるのは、何かこう、未来を覗き見るような楽しみがあった。
それが、あれから半世紀も経った2010年代に入ると、今度はテレビの前に座ることが、少しずつ減っていった。いや、正確に言えば、僕たちはいまだにスクリーンを見つめている。ただ、それがテレビという機械を通してではなくなっただけだ。今、私たちが手にしているのはスマートフォンやタブレット、パソコンだ。それぞれの端末から、同じように映像が流れ込んでくる。けれども、その映像が私たちを「家族」として集めることは少なくなっている。気づけば、四人の家族が一緒に居間にいても、皆がそれぞれのスクリーンを見つめているという、不思議な時間が流れるようになった。
さて、ここはイギリス。11月から2月にかけての暗い季節がやってきた。空はどんよりと曇り、日が落ちるのも早い。夜の闇が深まる中、家族みんなで暖かい居間に集まって、ひとつのスクリーンを見つめる。そういう時間をどうやって作れるだろうかと、ふと考えた。そして、思い切って新しいテレビを買ってみるのもいいかもしれないと思い始めた。これも一つの家族のための小さな投資だ。
うちにはもう15年ほど前に買った古いテレビがある。でも最近はほとんど使っていない。何か映像を見るなら、どうしてもスマホやパソコンの方が鮮明で便利だ。最新のテレビに比べると映像の鮮やかさはかなり違うし、なにより使い勝手がイマイチだ。
そんなタイミングで、11月29日のブラックフライデーが近づいてきている。毎年イギリス中が期待に浮き立つ日だ。メディアでよく目にする「バーゲンセールの日の朝、人々が押し寄せ、商品の取り合いが始まる」映像が頭に浮かぶが、それには参加したくない。そこで、我が家ではブラックフライデーの混雑が落ち着くタイミングを狙って、新しいテレビを注文しようと計画している。自分たちにとってちょうどいいテレビが、いい価格で見つかるといいのだけれど。
思えば、家族みんなが揃ってひとつのスクリーンを見るなんて、なんとも不思議な気がする。今の時代、家族が同じ映像を一緒に眺める時間は貴重だ。そして、ひとつの物語を共有して、時には同じ場面で笑ったり、考え込んだりする。そんな時間があれば、自然と会話も増えるかもしれないし、家族の距離も少しずつ近くなるかもしれない。いつの間にかテレビという存在が、家族の関係を取り持つ役割を果たすようになったなんて、まるで時代が逆戻りしたかのようだと思う。テレビが、家族仲をもう一度深める手助けをしてくれる。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から718日目を迎えた。(リンク⇨717日目の記事)』
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