自分に不幸もたくさんあったと半世紀を振り返ってみるが. . .
- haruukjp
- 2 minutes ago
- 4 min read

人には誰にでも、それなりの物語がある。そしてたいていの場合、その物語には誰にも言わなかった章がある。私にもそういう章がある。今日はそれを少しだけ書いてみようと思う。
野球とスパルタと、親の記憶の不在
私は9歳のときに小学校の野球部に入った。そこから約10年間、スパルタ式の練習に明け暮れた。ほぼ365日、野球漬けの生活だった。正直に言って、親から「教育」を受けた記憶はほとんどない。私の「親」は、いつもグラウンドの外側にいた。私の世界は、先輩たちとコーチと、汗のにおいと、土の感触でできていた。
だからだろうか、自分を守るために、いつの間にか私は「強く見せる人間」になった。けれど内側では、風に揺れる紙のように、心は薄く脆かった。
東京、Fラン大学、そしてロンドン
学力が足りないと自覚していた私は、劣等感と共に東京に飛び込んだ。どうにか外資系の金融に滑り込み、その流れに乗ってロンドンへ赴任することになった。
だけど、ロンドンは私にとって甘くはなかった。婚約破棄、うつ病、ギャンブル依存、アルコール依存。まるで悪い夢のように、それらは立て続けにやってきた。
けれど私は這い上がった。なんとか克服し、結婚もした。「これからだ」と自分に言い聞かせ、より厳しい金融の世界へと身を投じた。
世界のトップは「いい人間」では務まらない
残業は月80時間を越えた。深夜に東京から電話が鳴り、夢の中から現実に引き戻されることもしばしばあった。子供が生まれ、成長していく中で、私はほとんどその瞬間に立ち会えなかった。まるで誰かの人生を横目で見ていたようだった。
20年、私はロンドンの金融業界で何とか生き延びた。だけど最後には、静かに、でも確実に、解雇通告が届いた。私は家族を持つ無職の人間になった。
写真の中の「笑っていない私」
子どもには辛い姿を見せたくなかった。だから笑顔を作った。でも、あとでその頃の写真を見返してみると、私は笑っていなかった。ただ、口角を少しだけ引き上げただけの顔がそこにあった。
それでも、幸せは静かにそこにある
今、私はフリーランスとして生きている。経済的に楽ではない。けれど、日々の中に小さな幸せを探すことが、ようやくできるようになった。
たとえば――
子どもが健康で、勉強にも前向きなこと
両親は後期高齢者だけど、テニスをし、地元活動に励み、車で飛び回っていること
兄夫婦は仲良く暮らし、姪たちは自立して、それぞれの人生を歩んでいること
それらは「特別なこと」ではないかもしれない。けれど、それが失われることを思うと、私の中の何かが静かに震える。
朝、気持ちよく目覚められるということ
今、私は週に4〜5回、近所の犬の散歩をしている。森の中を歩きながら、深呼吸をする。その空気は、まるで音楽のように、体の中をゆっくりと流れていく。
医者の世話にならず、朝、すっと目が覚める。コーヒーを淹れ、本を読み、空を見上げる。それだけで「今日は生きていて良かった」と思える瞬間がある。
最後に
私の人生は、けっしてスムーズじゃなかった。むしろ、波だらけだった。でも、それでも今、小さな幸せに気づけるようになったこと。それだけで、人生はそれほど悪くないと、思えるようになった。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から856日目を迎えた。(リンク⇨855日目の記事)』
最近の記事
おすすめの記事
Comments