小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。無職生活660日目を迎えた。(リンク⇨659日目の記事)
昔、私たちが子供だった頃、小学1年生くらいになれば親は家の鍵を預けてくれたものだ。今では、鍵の代わりに携帯電話を子供に持たせる親が増えている。だが、その携帯電話は通信手段としてよりも、ゲームやSNSを通じて遊ぶための道具になっているように見える。スマートフォンが与えられる理由は、連絡手段というよりも、メディアを楽しむためのツールとして機能しているのが現実だ。
うちの娘も例外ではない。彼女もスマートフォンを欲しがっている。とはいえ、小学校高学年になるまではまだ持たせていない。最近、彼女がひとりで学校に通うようになってから、どこにいるのか不安になることが多い。そんなとき、携帯電話があれば安心できるのではないかと思う瞬間もある。
しかし、スマートフォンを手にした子供たちの姿を見ていると、少し心配にもなる。夜中にベッドの上で画面をいじり続けて睡眠不足になったり、日中もそればかりに気を取られて、物事に集中できなくなる。そうした姿は決して珍しくない。そして、最も気がかりなのは、人とのコミュニケーションが希薄になってしまうことだ。言葉を交わすことの大切さ、友人との実際の対話、それらがスマートフォンの影に隠れていってしまうのではないか、そんな不安が頭をよぎる。
さて、ここで親としての決断が迫られている。果たして、スマートフォンを娘に与えるべきかどうか。彼女の安全を考えれば必要だと思う反面、その影響を思うと、まだ早いのではないかと迷ってしまう。
ガラ携を与えるという方法もある。
この悩みはしばらく続きそうだ。娘の成長とともに、時代の流れとどう折り合いをつけていくか、それが私たち親の役目なのかもしれない。
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