ある日、私のメールボックスに、6年ぶりの懐かしい顔がポンと現れた。かつての上司だ。どうやら就職斡旋系SNSが、かつて同じ会社で働いていた関係を「人間関係の再会」として勝手にマッチングしてくれたらしい。「この人に連絡してみませんか?」というメッセージが無機質な形式で通知された。あの上司、今どうしているんだろう?と思う一方で、心の隅には「それもまた会社の付き合いってやつだよな」という淡い冷めた感覚が横たわっている。
私たちの間に流れていた、あの微妙な信頼感を思い出してみる。無口で物静かな人だったが、当時の私は彼に心を開いて話すことができた、数少ない人物の一人だった。思い切って、感謝の気持ちも込めてメッセージを送ってみた。そして彼は優しく応えてくれた。SNS上での「つながり」ボタンを押し、さらりと返事をくれたのだ。
うれしかった。だけど、どこか空虚な感覚がすぐに顔を出す。会社を辞め、離れてしまった後の会話には、何かが欠けていることが多い。どんなにかつては親しかった相手でも、久しぶりの会話はどこか浅く、表面的で、きっと続くことはないのだろう。
かつての同僚との人間関係の儚さを思うと、私は少し寂しい気持ちになる。幼なじみや大学時代の友人たち、家族のような存在たちは、いくら時間が経とうが会いたくなる。しかし仕事上のつながりはそうはいかない。半世紀も生きてくると、人間関係は積み重なり、取捨選択が必要になる。自分の人生の残り時間は有限だ。何か意味のあるものにこそ、貴重な時間を割きたいと思う。
それに、こうして元上司に連絡したのは私の方なのだから、返信してくれただけで十分感謝しようと思うのが正直なところだ。おそらく彼も、こちらからの連絡に対して、懐かしさ以上の感情はなかったのだろう。会社内で共有した熱い瞬間や一喜一憂の記憶は、退社とともに時の彼方へと消えていく。そして、これはどこか静かな諦念と共に、私の中で完結している。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から705日目を迎えた。(リンク⇨704日目の記事)』
最近の記事
おすすめの記事
Comentarii