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結局はこれ 明日をどう生きるかだけを考える 96歳の人に聞いてみた

Writer's picture: haruukjpharuukjp

Updated: 5 days ago



十代になると、人は未来のことを考え始める。十年先にどんな自分になっていたいのか。その理想像を「夢」と呼び、目標に向かって努力する。

二十代になると、自分にはどれほどの可能性があるのか試してみたくなる。そして、その過程で夢を追い続ける。

三十代になると、経験を積み重ね、やりたかったことが少しずつ形になってくる。

四十代になると、ふと老後のことを考え始める。

五十代になると、人生の終わりというものが現実味を帯びてきて、できなかったことに挑戦したくなる。

六十代になると、自分の子どもや孫がどのように生きていくのかが気になり始める。

七十代になると、誰かのために何かをしてあげようという気持ちが強くなる。

八十代になると、ただ健康であることが幸せだと思うようになる。

九十代になると、ただひたすらに「明日を迎えられるだろうか」と考えながら生きる。

これは、九十六歳まで生きたある女性の言葉だ。彼女の人生をすべて理解することはできないが、その半分ほどしか達成できていない私にも、なんとなく共感できるところがある。

けれど、突き詰めてみると、十代だろうと九十代だろうと、結局のところ人はみな「明日を無事に生きるために」日々の選択をしているのではないかと思う。髪を切るのも、健康食品を買うのも、医者に診てもらうのも、新しい服を買うのも、ヨガに通うのも、ワインを飲むのも、コンサートに行くのも、愛する人に会うのも――すべて「明日を生きるため」に、今日それを選んでいるのだ。

九十六歳の彼女は、体調が悪い日には「これが最後の日かもしれない」と思うらしい。でも、体調の良い日には「なんて素晴らしい日だろう。自分はまだ歩ける。明日が楽しみだ」と心から喜ぶのだという。

彼女を見ていると、十代であろうと五十代であろうと九十代であろうと、人間は結局みな「今日を生きてよかった」と思い、そして「明日をどう生きるか」を考えているのだということに気づく。そう思うと、今まで私が抱えていた「将来への不安」が、いかに無駄なものだったかがわかる。

だから、「将来が不安だ」と悩む必要なんてないのだ。今日、美味しいスープを飲んで、それが身体に染み渡るのを感じること。それが、そのまま「幸せ」なのだと思う。






文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から813日目を迎えた。(リンク⇨812日目の記事)』


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