
七年間の送り迎えと、終わりと、始まりと
子育てというのは、大学を卒業して社会に出るまで、いや、もしかするとその先までも続く長いマラソンのようなものだ。ゴールが見えているようで見えないし、途中で何度も給水地点がある。だけど、そこで水を飲んだからといって、必ずしも楽になるわけではない。
小さい頃は、子供がどこへ行ってしまうかわからないので、危険な場所に行かないように見守らなくてはならない。勉強の準備をどうするかも教えなくてはならない。そうかと思えば、十代になると今度は友人関係の悩みや、自分の欲しいものをめぐる小さな交渉が始まる。親が介入するべきか、見守るべきか。これはなかなか難しい問題だ。
そんな中で、親ができることの一つが習い事をさせることだ。本人の興味がどこにあるのか、何に向いているのか。それを見つけるためのきっかけを与える。そして、そのために親は毎週のようにタクシードライバーとなり、子供を送り迎えする。
うちの娘もまた、今年は変化の年を迎えている。その一つの節目として、彼女は七年間続けてきた器械体操クラブを辞めることになった。
週に一度、二時間の練習。それだけといえばそれだけなのだけれど、送り迎えをする親にとっては、もう少し長い時間に感じられる。送って帰り、終わる頃にまた迎えに行く。その繰り返しを七年間続けた。
そして今日が、その最後の日だった。
コーチは娘がいなくなるのを寂しがり、「またいつでも遊びに来てね」と言ってくれた。彼女の言葉を聞いて、娘も少しだけ感傷的になったようだった。でも、おそらくこの別れの寂しさも、すぐに新しい何かにかき消されていくだろう。人生というのは、そういうものだ。
親としては、ただ「よく頑張った」と伝えたい。七年間、続けるということは、決して簡単なことではないのだから。
そして、これからも新しいことがたくさん始まる。おそらく、私のタクシードライバー業もまた別の形で続いていくことになるのだろう。
娘が自分の好きなことを見つけ、それに向かって努力する。その姿を見守ることが、親としての一つの喜びなのかもしれない。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から846日目を迎えた。(リンク⇨845日目の記事)』
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