アラフィフの私には、ある種の燃え尽き感がしっかりと居座っている。希望を持つことすら億劫になり、諦めるのが習慣になってしまった。それにはいくつかの理由がある。過去に、諦めずに粘った結果、心のバランスを崩した経験があったからだ。諦めるという行為が、ある意味では自分を守る方法になっていたのかもしれない。
少年時代の野球と最初の諦め
最初の大きな挫折は少年時代だった。私は10年間、スパルタ的な野球部の練習に身を置いていた。そこで培ったものも多いはずだが、結局のところ、大学に入る頃には「もう野球は二度とやらない」と固く心に決めていた。無理を続けた結果、スポーツそのものが遠い存在になってしまったのだ。
その後、20代でイギリスに渡り、ソフトボールチームに参加してみた。だが、そのチームは素人も多く、野球部時代に感じた情熱や興奮は再び味わえなかった。この時点で、自分は何かを諦めてしまったのだと実感した。それは単に競技への情熱だけでなく、自分自身への期待も含まれていた。
社会人としての燃え尽き感
社会人生活もまた、諦めの連続だった。イギリスでの20年間、社畜的な働き方を続け、メンタルはボロボロになった。そこに追い打ちをかけたのがコロナ禍だ。自分を押し殺し、頑張るのが当然だと思ってきた人生は、この時期に一気に揺らいだ。挑戦する気持ちが薄れ、無理だと感じる希望は最初から捨ててしまう癖がついた。
気がつけば、私は二度の大きなトラウマを背負い込んでいた。一度目は少年時代の野球、二度目は社会人としての働き方。そんな経験を重ねるうちに、「諦めることが正解だ」と思うようになっていた。
諦めの先に老後が見える
50歳を前にして、自分が既に老後の心構えをしていることに気づいた。これ以上何かを求めることは無駄だと思い込み、目標を持つこと自体が遠ざかっていく。家族との距離も、次第に広がりつつある。そんな日々が続けば、やがて一人きりになるだろう。それは私自身が選び取った孤独かもしれない。
小さなリストを作る
だが、新しい年を迎えた今、少しだけ立ち止まって考えてみた。このままではいけないのではないか。大きな目標を掲げるつもりはないが、いくつかの「やりたいこと」をリストにしてみようと思う。
若者気取りをするつもりはないし、無理に若作りをするのもごめんだ。ただ、年相応の目標を立てて、少しずつでも前に進めたらと思う。それが私にとってのささやかな挑戦だ。そしてその挑戦の先に、どんな景色が広がっているのかを、静かに見届けたいと思う。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から775日目を迎えた。(リンク⇨774日目の記事)』
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