小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。無職生活650日目を迎えた。(リンク⇨649日目の記事)
家というのは、時に重荷になる。少子化が進むこの国では、特にそうだ。誰も住まなくなった家が、ただ風雨にさらされて朽ちていく様を見つめるのは、どこか物悲しい。まるで、使い古したカセットテープが再生されることなく引き出しの奥で埃をかぶっているような感覚だ。
僕の友人であるX氏も、そんな風にして家という存在に向き合わざるを得なかった一人だ。彼の父親の実家は岡山県にあった。京都府に住むX氏にとって、そこは車で4時間かかる遠い場所だった。父親が亡くなってからというもの、その家には誰も住んでいなかった。5年が経ち、家は徐々に劣化していった。壁はひび割れ、庭の雑草は腰の高さまで伸びていた。
X氏は、その家をどうするか決めなければならなかった。放置しておけば税金がかかるし、売るタイミングを逃せば、家は崩れてしまうかもしれない。最初は改築して外国人にでも売ろうかと考えたが、その手間と費用が見合うかどうかは不確かだった。最終的に彼は、不動産屋に勧められた通り、更地にして土地を売ることに決めた。
工事は無事に終わり、土地も売れた。少しばかりの資金が手元に残ったが、それで問題がすべて解決したわけではなかった。次に待っていたのは、誰も訪れないお墓の問題だった。X氏は、無縁となるそのお墓を撤去し、近くのお寺に供養を依頼することにした。そうすれば、たまにお寺を訪れればご先祖様に挨拶ができるだろう。結局、土地の売却で得た資金はそのお墓の撤去費用に充てられ、むしろ少し支払いが出る結果となった。
それでも、X氏は晴れやかな気持ちでこう言った。「これで父親の実家もすっきりした。気持ちも軽くなったよ」と。
高齢化と都市集中が進むこの国では、同じような問題を抱える人が少なくないだろう。誰にとっても、家というものはただの建物以上の存在だ。しかし、時代が変わり、人々の生き方が変わる中で、家をどう扱うかという問題は、いずれ誰もが向き合わなければならない課題なのかもしれない。明日は我が身と思いながら、僕も自分の計画を練っておかないといけないようだ。
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