お笑いが好きな私にとって、イギリスで日本のメディアをネットで見ていると、関西弁を聞く機会が多い。それをもう何十年も聞き続けてきたせいか、関西弁を耳にすると、なんだか楽しい気分になるし、安心感すら覚える。音楽で言うと、まるで懐かしいメロディのように心地よい響きがある。
今日は、大阪から来た観光客に会った。彼は大阪生まれ大阪育ち、定年退職を迎えて初めての海外旅行だという。その「元祖大阪人」との会話は、なんとも心が弾むものだった。彼の話す関西弁は、まさに大阪の空気そのものを運んできたかのような心地よさがあった。
「関西弁、いいですね」と私が言うと、彼は少し寂しそうな表情を浮かべて「関西弁が消えつつある」と教えてくれた。関西の子供たちが、今はネットを通じて標準語、つまり東京弁を意識的に話そうとするらしい。それが彼らにとって、ある種のステータスを作り上げる手段のようだという。彼らは、一生懸命標準語を話す努力をしているそうだ。
驚いた。もし10年、20年と経ったら、関西にいながらも標準語を話す若者たちが増え、関西弁は徐々に消えていくのではないかという。私は少しばかり寂しくなった。関西弁がなくなると、お笑いの世界も変わっていくだろう。関西弁とお笑いは切り離せない存在のように感じていたからだ。私の中で、笑いのリズムや間合いは、関西弁があってこそ成り立つようなものだった。
本当に関西弁は消えてしまうのだろうか? そんなことを考えながら、私は静かに思いを巡らせた。言葉も文化も、時代の流れの中で変わっていくものだとは理解している。それでも、あの独特の言い回しや温かさを失うのは、少し残念な気がする。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から688日目を迎えた。(リンク⇨687日目の記事)』
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