小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。無職生活682日目を迎えた。(リンク⇨681日目の記事)
イギリスの某大手スーパーをぶらぶらしていると、なんと日本のカップヌードルが棚に並んでいるのを見つけてしまった。これは驚きだ。あまりの感動に、つい手に取ってしまう。裏を見れば、製造地はハンガリーだと書かれている。なるほど、そういうことか。まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、あのカップヌードルがここにあるのだから。
カップヌードルには、私なりの特別な思い出がある。あれは、コロナ禍が本格化し、オミクロン株が広がり始めた頃のことだ。私は小学校低学年の娘と一緒に日本に一時帰国した。その時、羽田空港に着くや否や、私たちはバスに乗せられ、桜木町のアパホテルに直行することになった。そこで待っていたのは、3日間の隔離生活だった。部屋にはベッドが1つと、ちょっとした空間があるだけ。72時間、ほぼこの小さな空間で過ごさなければならなかった。
窓からは海が見え、景色は悪くなかった。しかし、娘には楽しみがほとんどなく、退屈そうにテレビを眺めて過ごしていた。一方、私はリモートワークに没頭していたので、まあ何とか時間を潰せていた。そして、毎日3回、ドアの前に届けられるお弁当。幕の内弁当が届くたびに、私は小さな喜びを感じていたが、娘はその大人向けの食事にまったく興味を示さなかった。彼女が食べられるものを探すのに一苦労し、結局、彼女は非常食として持っていたシリアルをかじるだけの毎日だった。
そして3日目、ついに娘が限界に達した。お腹が空いたと泣き出したのだ。どうしても何か食べたいという彼女のために、私はホテルにお願いをして、特別に何か用意してもらえないか頼んだ。すると、持ってきてくれたのが、あのカップヌードルだった。娘はそのカップヌードルを食べながら「美味しい!」と目を輝かせ、これが日本での旅の中で一番の思い出となったようだ。イギリスに戻ってきてからも、しばしば「カップヌードルが一番美味しかった」と話していた。
そんな娘と一緒に、今回イギリスのスーパーでカップヌードルを見つけたのだから、私たちは思わず興奮して、いくつか手に取ってしまった。あの時の思い出が蘇るように。
(続く)
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