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知っていると言わないと申し訳ないが、それほど知らない でも本当は知っていることなのかもしれない



現代のコミュニケーションは、目まぐるしく変化している。EメールやSNSのチャットが日常化し、言葉のやり取りが即座に行われる一方で、受信者は返事をするまでに一定の時間を得ることが許されている。この「時間の余白」は、私たちに考える余地を与え、時には答えを探すための検索窓としても機能している。

しかし、ここで問題となるのは、「検索」では補えない領域だ。たとえば、文脈や話し手の微妙な意図、あるいは肌感覚でしか理解できない背景といったもの。どれだけ効率的な検索アルゴリズムが存在しようと、それらを完全に掴むことは難しい。結局のところ、人間らしい直感や経験が必要になるのだ。

対面での会話という試練

一方で、対面での会話ではさらに複雑な技術が求められる。なぜなら、目の前にいる話し手は、聞き手が何をどれだけ理解しているかを視線や表情から敏感に察知するからだ。

話し手の言葉を100%理解しているなら、会話は自然に流れるだろう。しかし、もし30%程度しかわからないとしたら?その場合、聞き手は微妙なバランスを取らなければならない。

「知っているふり」と「質問」の絶妙な調和がここで試される。あまり多くの質問を投げかければ、話し手は退屈したり苛立ったりする可能性がある。逆に、知ったかぶりをし過ぎると、話の流れが途切れ、信頼関係が崩れることもある。この微妙な均衡を保つことが、対面コミュニケーションにおける一種の芸術なのだ。

オンラインの冷たさ

これに比べ、オンラインでの会話は冷静でドライだ。メッセージを受け取った人は、わからない部分を無視するか、時間をかけて調べて回答するかのどちらかを選ぶことができる。検索エンジンが示してくれる答えは便利だが、その背景にある温度や匂いまでは伝わらない。

さらに、グループチャットのような場では、参加者たちの温度差がさらに際立つ。積極的に話に加わる人、沈黙を守る人、さらにはどちらでもない曖昧な態度を取る人が入り混じり、会話のバランスが絶妙に崩れることがある。

人間らしさを取り戻す

だからこそ、対面での会話が再び重要になる。オフラインで人と向き合う場では、知識や情報だけではなく、表情や仕草、声のトーンが会話の中で大きな意味を持つ。

私たちは完全に知っているわけではないけれど、まるで知っているかのような態度を取る。その微妙な態度が相手を安心させ、会話を進め、関係性を深める鍵になることがある。

デジタル時代においてこそ、私たちはこの古典的ともいえるコミュニケーションの技術を大切にすべきなのだろう。少なくとも、それが人間らしさを取り戻すひとつの道なのだと思う。


文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から779日目を迎えた。(リンク⇨778日目の記事)』


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