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イギリスに来る旅行者が口をそろえて言うのは、「現金、ほとんど使わないですね」ということだ。そして、大量のポンド紙幣を日本で両替してきた人ほど、決まって後悔することになる。
興味深いことに、日本の空港の両替所の係員でさえ、まるで自分のビジネスに反するかのように、「イギリスではあまり現金を使わないので、換金は少額で大丈夫ですよ」と丁寧に教えてくれる。
実際、私もイギリスでの生活の中で、現金を使う機会がほとんどなくなった。財布を持つこともなくなり、今ではすべてスマートフォンのウォレットで事足りる。どんなに小さな屋台のコーヒースタンドでも、電子決済が可能だ。ただし、一つ注意点がある。アメリカン・エキスプレスしか登録していないと、使えない場所が意外と多い。VISAかMastercardをセットしておくのが無難だ。
そんなキャッシュレス社会の中で、ひょんなことから50ポンド札を手に入れた。果たして、この紙幣は今のロンドンでどこまで通用するのだろうか。
まず試したのは空港の駐車場の券売機。しかし、ディスプレイには「20ポンド札まで使用可」と表示されており、50ポンド札のマークには無情にもバツ印がついていた。
次に大手スーパーの有人レジで挑戦してみる。50ポンド札を差し出すと、レジのスタッフが怪訝そうな顔をし、もう一人の同僚を呼ぶ。大声で「50ポンド入ります!」と確認が入り、二人がかりで紙幣の真贋をチェックする。昔、この国では偽札が横行し、小さな買い物で偽の50ポンド札を出し、大量の本物の釣り銭を手にする犯罪が流行ったのだ。今の紙幣は精巧に作られており、目視でも真偽の判断ができるようになっている。それでも、扱いは慎重だ。
有人レジではなんとか使用できたが、実はセルフレジの方があっさり受け入れてくれる場合もある。もしかすると、人間よりも機械の方が紙幣に対して寛容なのかもしれない。
イギリスでは旧札が使えなくなるシステムがあるため、例えば10年前に両替したポンドを持って再訪すると、意外と使えないという事態に直面することがある。その場合、郵便局やイングランド銀行へ行けば交換してもらえるが、それもまた手間のかかる話だ。
久しぶりに現金を使ってみて、ふと気づいたことがある。紙幣をポケットから取り出し、小銭を数え、お釣りをしまう——そんな一連の動作が、今ではすっかり面倒に感じるようになってしまったのだ。かつては当たり前だったはずの行為が、今ではどこか時代遅れにすら思える。
50ポンド札は今日もなお、イギリスのどこかで慎重に扱われながら、その存在意義をかろうじて保っている。だが、果たしてあと何年、こうして使われ続けるのだろうか。そんなことを考えながら、私はスマートフォンのウォレットを開き、次のコーヒーをタップひとつで支払った。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から809日目を迎えた。(リンク⇨808日目の記事)』
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