Xさんがガンの宣告を受けたのは、何とも皮肉なタイミングだった。認知症を患う母親が隣県に住んでいて、Xさんは毎週のように電車に乗り、母を見舞いに行っていた。その中でのガン告知である。まるで分厚い灰色の霧があたりを覆い、行き場を失ったような気持ちになったのは無理もない。恐怖と絶望が入り混じり、彼女は思考のどこにも足場が見つからない感覚に陥った。
しかし、唯一の救いは、それが早期発見であり、ステージ1の初期段階だったことだった。「母がこんな状態で私が先にこの世を去るわけにはいかない」。そう気づいた瞬間、Xさんの胸に一筋の光が差し込んだ。母親の世話をするため、どうにか生き延びなければならない。そうして、彼女は治療と手術に向けての準備に心を固めた。
治療の始まりはちょうど新型コロナウイルスの流行と重なり、Xさんは感染を恐れて家にこもりきりになった。運動不足で5キロの体重増加があったものの、手術は無事成功し、ガンを取り除くことができた。それから5年、介護をしてきた母親も昨年他界し、Xさんの心にはぽっかりとした空白が残された。しかしその空白の中には、もう一度自分の人生を生きようという希望が、少しずつ膨らんでいた。
Xさんには何十年もファンを続けてきたアイドルグループがいた。日本で公演があると知ったものの、チケットは即座に完売。しかし思いがけず、ロンドンでの公演が控えていることを知り、今度はそのチケットを手に入れることができた。そして今、彼女はロンドンにいる。街の劇場で、憧れのアイドルが演じる舞台を見つめている。
Xさんは現在70代。その姿には、自由と自分自身を生きる力が輝いている。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から714日目を迎えた。(リンク⇨713日目の記事)』
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