top of page

離職2回 子供の誕生日を迎えると思うこと コロナの2年は大きすぎる

Writer's picture: haruukjpharuukjp



子どもたちが誕生日を迎えるたび、私はふと足を止めて振り返る。過去の10年、15年は一体どんなものだったのか、と。

この15年という時間の間に、私は職を2度失った。

1回目の失職と赤ん坊の笑顔

最初の離職は、長男が生まれた直後のことだった。その日から、私はコーヒー屋の席でカフェラテを飲む余裕さえ失った。ただ日々をやり過ごし、目の前にある現実に途方に暮れるばかりだった。

救いだったのは、生まれたばかりの赤ん坊の笑顔だ。あの小さな口が無防備に笑みを浮かべるたびに、私は少しだけ心が軽くなるのを感じた。まるで「お父さん、大丈夫だよ」と言ってくれているようだった。

2回目の失職とコロナの嵐

次に職を失ったのは、コロナ禍の真っ只中だった。リモートワークのためにいつもいる自宅で、一本の電話がかかってきた。それが私の仕事人生における終止符を打つものだった。

その瞬間、まるで部屋の空気が真空状態になったように感じた。それまで親密だったはずの上司や同僚たちの態度も、そこから先は手のひらを返したように冷たくなった。私が感じた孤独は深く、静かで、果てしなく続くかのように思えた。

子どもたちの成長がもたらす救い

そんな15年を経て、私が気づいたのは、子どもたちの成長が唯一の救いだったということだ。

私の不安定な人生を間近で見てきた彼らが将来どんな影響を受けるのか、それはまだわからない。でも今のところ、彼らが自分の夢を自由に追いかけられるような環境は、何とか整えてきたつもりだ。

好きな服を着させ、美味しいものを食べさせ、誕生日には友達を招いて楽しい時間を過ごさせる。旅行も年に最低1回は家族全員で行き、習い事も好きなものを続けさせている。

そして彼らは少しずつ、自分の意思で行動し、決断できるようになってきた。それは、私が15年という歳月の中で得た、何よりも大切な喜びだ。

コロナ禍という異常な時間

2020年3月から2022年2月までの2年間、私たちはコロナという異常な時代を生きた。その間、子どもたちも理解しがたい状況に置かれていた。友達に会えない日々、集中しづらいオンライン授業。私たち家族はまるで見えない戦争の中にいるようだった。

あの2年間の後遺症は、今でもどこかに残っているのかもしれない。でも時間が少しずつ、それを癒してくれている。誰もあんな経験を繰り返したいとは思っていない。ただ普通の日常を取り戻したいだけなのだ。

子どもたちの誕生日に寄せて

こうして15年を振り返ると、私は多くを失い、また多くを得た。職を失ったことも、途方に暮れた日々も、今では子どもたちの成長を目の当たりにするための伏線だったように思う。

誕生日を迎えた子どもたちはまた新たな年齢に進み、自分たちの歴史を一歩ずつ刻んでいく。それを見届けることが、私にとって何よりの喜びだ。



文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から783日目を迎えた。(リンク⇨782日目の記事)』


最近の記事




おすすめの記事



96 views0 comments

Comments


bottom of page
PVアクセスランキング にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 最高の人生へ
にほんブログ村