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百年の記憶と、犬と私

Writer's picture: haruukjpharuukjp


犬を借りて散歩すること、それからその九十六歳の飼い主とお茶を飲むことが、いつの間にか私の日課になった。

今日も犬と歩いたあとで、彼女の家に寄って紅茶を飲んだ。話の流れで、彼女が三年前に夫を亡くしたことを知った。医者も最後はあまりよく診てくれなかったのだと、少し寂しそうに言った。

「旦那さんは何歳だったんですか?」と私は聞いた。

「あと二ヶ月で百一歳になるところだったのよ」と彼女は言った。

百一歳。私の年齢をもう一度やり直して、さらにもう少し足さなければ追いつかない歳だ。そう考えると、まったく気が遠くなる。

彼女は七十年間、この家に住んでいるという。私がイギリスで過ごした二十五年など、まるで昨日のことのように感じられる。七十年という時間の密度は、ただそこに積み重なっているだけではなく、何かしらの形を持って、空間の隅々に染み込んでいるのだろう。

彼女の話は面白い。十代の頃の話、仕事での経験、どんな職場でどんな人と働いたのか。どれもこれも、まるで古い映画のフィルムがゆっくり回っているように感じる。

一時間も話していると、最低でも五人は亡くなった話を聞く。彼女を残して去っていった人々。百年近く生きるということは、そういうことなのだろう。記憶の中で消えていく人々の名前を、彼女は丁寧に拾い上げて語る。私はそれを聞きながら、ふと考える。

彼女は今でも健康を保つために、いくつかのルールを守っている。酒もタバコもやらない。適度に体を動かすことを忘れない。今でも太極拳を習い、テレビのクイズ番組を見て問題を解き、携帯電話ではゲームをして脳を活性化させる。

「記憶はね、鍛えないとどこかへ行ってしまうのよ」と彼女は言った。

私は彼女の話を聞きながら、自分の人生について考える。今までの自分、これからの自分。これまでどれだけのものを得て、どれだけのものを失ったのか。百年生きることを前提にしたら、私の人生はどこまで辿り着くだろう?

そして、犬はそんなことなどお構いなしに、私たちの足元で丸くなって静かに眠っていた。


文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から800日目を迎えた。(リンク⇨799日目の記事)』


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